今日も在宅勤務。ぼちぼち働く。

ひとりで家にいて働いていると、10分に一度くらい立ちあがって家のなかをうろうろしてしまう。我ながら集中力がない。

昼休みは図書館に行った。娘が読みたがっていた『ペツェッティーノ』という絵本を借りる。大人からすると表紙がちょっと不気味に感じるのだが、なにか気に入るものがあったのだろうか。

保育園のお迎えに行かなければならないが、雨が降っているので少し気が重い。


昨日の日記を読んでくれた友人から『ロギング仕事術』のどこが良かったか教えて欲しいと言われたので書いてみる。

記録を取りながら仕事をするといろいろ良いことがある。これが『ロギング仕事術』の主張である。タスクリストを見ながら仕事をすることで今やるべきことを見失わない、などがその分かりやすい効果である。これから何をやるか(タスクリスト)、と今何をやったか(作業記録)をあまり区別せずに並べるのがこの本の特徴である。

自分はこの本を読む前から仕事ではデイリーノートをつけていた。ツールはEmacsのorg-modeである。毎朝タスクリストを作成することでその日の仕事の進め方をイメージする。そして作業しながら関連するURLなどをメモすることでいつ中断してもその作業を再開できるようにする。またポモドーロもやっていたので25分ごとにノートを見つつ自分の現在地をふりかえることができる。

記録を取ることの効用はその日の仕事をスムーズに進めることだけにとどまらない、というのがこの本の主張の面白いところである。第4章の「ライフワークのログを残す」という節から引用する。

前記のプロジェクトログは、始まりと終わりがある期間限定のログです。一方、特定の記録にはそうした期間が定まらないものもあります。終わりがない行為、いわばライフワークが対象のログです。 例を挙げるなら、読書のログなどがわかりやすいでしょうか。 一冊の本を読むことには始まりと終わりがありますが、趣味としての読書には基本的に終わりがありません。ずっと継続的に続いていく行為です。もちろん対象は読書だけではありません。映画でも音楽でも演劇でも美術館巡りでも、すべてはライフワークのような位置づけになるでしょう。

なぜライフワークのログを残していくのかと言えば、第一にそれが楽しいからですし、第二に意外なところで役立つことがあるからで、第三に自分を知ることができるからです。

今の日記をつけ始めたのは本書が出版される少し前だが、そこで自分がやりたかったことはまさに著者のいうライフワークのログである。数年前まではTwitterをライフログがわりに使っていたが最近はたまにしか発言していない。気に障るような「炎上」がタイムラインに頻繁に流れてするようになって、何か日々のちょっとした個人的な考えを書く気になれなくなってしまったのだ。

人が思考するには道具の助けが必要である。紙と鉛筆が無ければ二桁の掛け算すら簡単にはこなせないのが人間である。「道具」を「環境」という言葉に置き換えてもいい。メールの通知や割り込みのタスクが溢れる職場のような環境や、人の気を引く投稿が溢れるSNSのような環境で上手に考えることは簡単ではない。そのような過酷な情報の海で知的生産活動を行う人にとって、ロギング仕事術はよい羅針盤になるだろう。

以上のように日々のタスクからライフワークまで連続的に適用できる考え方を学ぶことができるのが本書の最大の魅力だろう。ぜひ一読をすすめる。